土台の無い家は、地震や台風で壊れてしまいます。
いくら丈夫な柱を使っても、内装が綺麗でも、立派な瓦屋根でも。
信仰も同じです。
教理の無い信仰は、土台の無い家と同じです。
お道の信仰の土台は、教祖にお教え頂いた教理をきちんと身につける事です。
教理をきちんと身につけていないで、いくらひのきしんを頑張っても、にをいがけやおたすけをしても、月次祭を欠かさず参拝しても、いざ身上や事情が起きたら、心は倒れてしまいます。
教祖はこのように仰っています。
「神様のお話はなあ、嫌という程きいておけ、嫌という程聞かせておけ、まさかの時には浮かぶで」
また、次のようにもお話されています。
「日々教理を聞いて成程と感じることは心の養いである」
身体にも栄養が必要な様に、心にも栄養が必要です。教理は心の栄養、糧なのです。
次のような話もあります。
教祖は「足場になるな、土台になれ」と仰せられました。普請には土台と足場とがなければなりません。しかし足場は普請の出来上がった時は取り外さねばならぬものであります。しかし土台は取り除く事の出来ないものであります。土台を取り除こうとするには普請を壊してしまわねばなりません。土台の仕事は目には見えない。しかし土台は永劫末代消ゆることなき生命をもつものである。教会に於ける「伏せ込みの理」は土台の理であります。 『道乃友』大正9年1月号 「土台と足場」芦田義宣
土台は目に見えませんが、土台があれば間違いのない信仰が出来るのです。

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