「勇、月次祭や朝夕に勤めるおつとめは、何故おつとめと云うか知っているか?」
「知らない」
「つとめとは、『つ』を止めるからつとめと云う」
「つとは何かを説明しよう」
「親神様は教祖を社としてこの世に現れる前も、裏から人間や世界を守護していたのじゃ」
「その一つが、仏教の教えじゃ」
「仏教では、南無阿弥陀仏と唱えるじゃろ、この『なむあみだぶつ』は親神様のご守護を表しておる」
「なむはうるおいとぬくみ、あみはつなぎと突っ張り、だぶは飲み食い出入りと息吹き分け、そして、つは切る守護じゃ」
「つは切る理、つとめは切るを止める、つまり続く続けるという事じゃよ」
「だから、朝夕のおつとめは毎日続けるだろう、おつとめに休みはない」
「月次祭のおつとめを考えてみよう」
「月次祭のおつとめには、おてふりが六人、鳴り物が九人、地方が一人、最低でも十六人は必要じゃ」
「おぢばで勤めるかぐらづとめは、おてふりは十人、十全の守護を手振りに表して勤められる」
「でも、各教会で勤めるおつとめはおてふりが六人なのは、身の内六台と云って身の内の守護を表していると云う」
「身の内の守護とは、十柱の神名と十全の守護で、守護の説き分けで『人間身の内の』と付くのが六つあるじゃろ、それが身の内六台じゃ」
「これはわしの悟りじゃが、月次祭のおつとめには、人間が生きて行くために欠かせない六つの守護と、人間の九つの道具、目耳鼻口両手両足と男女一の道具が自由に使えるように、との願いを込めて勤めるものじゃと思っておる」
「だから、月次祭のおつとめには十六人が欠かせないのじゃよ」

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