孫の勇くんがやって来ました。
「ナオじいちゃん、こんにちは」
「勇か、元気だったか?」
「まあまあだね」
「でも、ちょっと考えることがあるんだ」
「青年会で、にをいがけをやっているんだけど、路傍講演も神名流しも、戸別訪問も、意味があるのかな、役に立っているのかな、と時々思うんだ」
「戸別訪問しても話は聞いてくれないし、路傍講演をしても誰が聞いているのか分からないし」
「そうじゃな、効率の良い布教方法とは言えんかも知れないな」
「お前は雪片づけをしたことがあるか?」
「うんあるよ、災害救援ひのきしん隊で豪雪地帯に行って、除雪をしたことがあるよ」
「わしは昔、二年ほど青森に居たことがあってな、冬は毎日雪片づけをさせられたものじゃ」
「雪は元々は水だから、ほっておいても春には消えてしまうじゃろ」
「だから、何故雪を片付けなければならないのか、と不思議に思ったのじゃよ」
「そうしたら、そこの会長さんはこう言ったんじゃ」
「あのね、ナオ君、雪はいつかは融けてしまうだろう」
「でも、それまでは、道路の雪は人が歩いたり車が通るのにじゃまになる」
「また、屋根に積もった雪は建物を壊したり、屋根から滑り落ちて人に怪我をさせるかも知れない」
「だから、毎日々々、こまめに雪を片付けなければならないんだ」
「信者さんが参拝に来られた時に、気持ちよく玄関から入ってもらいたいじゃないか」
「そう言われた時、わしは気が付いたんじゃ、思いやりの心はこういう事なんだと」
「にをいがけは、雪片づけと同じじゃと思う」
「誰も聞いてくれないかも知れないけど、おやさまの想いを伝えるんだと思う心で歩かせてもらえば良いんじゃよ」
「分かった、ありがとう」
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