苦労を楽しむ

 孫の治子さんが久しぶりにやって来ました。

「治子、元気だったか?」

「ナオじいちゃん、こんにちは。今アルバイトで出版社に行っているのだけど、雑用ばっかりさせられて、やりがいのある仕事をさせてもらえないの」

「私は将来、雑誌の編集の仕事をしたいと思っているから、アルバイト先は出版社にしたのよ。でも、コピーとか書類整理位しかやらせてもらえないの」

「アルバイトだからしかたないだろう」

「でも、友達は同じアルバイトなのに取材に連れて行ってもらっているのよ」

「その会社にしてみれば、コピーも書類整理も大事な仕事なんだと思うぞ」

「だって、面接の時、将来編集の仕事をしたいと言ったら、記事を書かせてくれると言ったのよ!」

「教祖の逸話にこんな話がある」

 教祖は、明治十七年三月二十四日(陰暦二月二十七日)から四月五日(陰暦三月十日)まで奈良監獄署へ御苦労下された。鴻田忠三郎も十日間入牢拘禁された。その間、忠三郎は、獄吏から便所掃除を命ぜられた。忠三郎が掃除を終えて、教祖の御前にもどると、教祖は、「鴻田はん、こんな所へ連れて来て、便所のようなむさい所の掃除をさされて、あんたは、どう思うたかえ。」と、お尋ね下されたので、「何をさせて頂いても、神様の御用向きを勤めさせて頂くと思えば、実に結構でございます。」と申し上げると、教祖の仰せ下さるには、「そうそう、どんな辛い事や嫌な事でも、結構と思うてすれば、天に届く理、神様受け取り下さる理は、結構に変えて下さる。なれども、えらい仕事、しんどい仕事を何んぼしても、ああ辛いなあ、ああ嫌やなあ、と、不足々々でしては、天に届く理は不足になるのやで。」と、お諭し下された。

「どんな仕事も取り組む姿勢が大事だと思うぞ。面白い仕事や目立つ仕事は頑張るけど、つまらない仕事や目に見えない仕事は手を抜くような事ではいけないよ」

「編集長さんはそこを見ていると思うぞ。裏方の仕事でも辛い仕事でも一生懸命やっていれば、どんな些細な記事でも良い記事を書いてくれると思って、治子に仕事をさせているのじゃないかな」

「苦労を楽しむ気持ちで仕事をしたら良いのじゃないかな」

「そうか、苦労を楽しむ、ね。分かった、頑張ってみるね」