人間が死んだらどうなるの

 ようぼくハンドブックには、次のように書かれています。

 天理教では、人の死を「出直し」といいます。親神様からの「かりもの」である身体をお返しすることを指します。

 出直しの語は元来、「最初からもう一度やり直すこと」を意味することからも察せられるように、死は再生の契機であり、それぞれの魂に応じて、また新しい身体を借りてこの世に帰ってくる「生まれ替わり」のための出発点であることが含まれています。

 前生までの心の道であるいんねんを刻んだ魂は、新しい身体を借りて蘇り、今生の心遣いによる変容を受け、出直し生まれ替わりを経て、また来生へと生まれ出ます。

 一般的には、誕生はめでたく、死は何か暗い、忌まわしいものと考えがちですが、本教では「出直し」「生まれ替わり」と教えられます。

 死は、それで終わり、それっきりというようなものではなく、生まれ替わり、つまり再生のための節目、出発点であるということです。

 少し考えてみれば分かることですが、死がなければ誕生もあり得ません。死ぬ者がなくて生まれる者ばかりであったら、たちまち地球は人であふれかえってしまいます。そう考えますと、誕生と死は一つのものであり、切り離すことのできないものであることが分かります。

 連綿と続く生命の営み、命のサイクルの節目を言い表す「出直し」「生まれ替わり」。その言葉自体に、死というものが終わりではなく、再生へのスタートであり、誕生が単なる生命の始まりではなく、前生よりの命を引き継いでいるものであることが含意されています。大きな生命の流れの中でのバトンタッチを繰り返しながら、陽気ぐらしへの歩みが進められるのです。(ようぼくハンドブックより)

 今生きている人は、前生の誰かの生まれ替わりであり、出直した人は、また誰かの子供として生まれ替わってくる、と私たちおみちを信仰するものは信じています。ですから、出直すことは単なる別れではなく、新たな出会いの始まりであると思うのです。