おぢば

「ナオじいちゃん!こんにちは」

「陽太郎か、元気だったか?」

「うん、元気だよ」

「今日はおじいちゃんに聞きたい事があって来たの」

「天理の事をみんな『おぢば』って言うでしょ。なんでおぢばって云うの?」

「うーん、難しい質問だな!」

「天理教本部の神殿の建ってある所を『ぢば』と云うのじゃよ。それに親しみを込めて『お』を付けて『おぢば』と呼んでいるのじゃ」

「では、何故ぢばと云うのか」

「明治八年六月、教祖は『明日は二十六日やから、屋敷の内を綺麗に掃除して置くように。』と、仰せられた」

「次の日、教祖は、先ず自ら庭の中を歩まれ、足がびたりと地面にひっついて前へも横へも動かなく成った地点に標を付けられた」

「次に、こかん、仲田、松尾、辻ます(子供のとめぎくを背負うて)、櫟枝村の与助等の人々を、次々と、目隠しをして歩かされた処、皆、同じ処へ吸い寄せられるように立ち止った」

「そして、その場所を元のぢばと定められたのじゃ」

「ぢばは、人間が最初に宿し込まれた場所であると言われる」

「その証拠として、かんろだいが据えられている。今は木製の雛形かんろだいだがな」

「ぢばは人間の故郷でもある」

「故郷にはおじいちゃんやおばあちゃんが居るだろう。ぢぢやばばが居るから、ちばと云うのじゃ」

「うん、分かったような分からないような・・・」

「この前参拝していた時、隣のおじさんが『こんな神殿見たことがない』とびっくりしていたけど、どうして?」

「本部の神殿は、東西南北の四方からかんろだいを参拝するから、その人はびっくりしたのかな」

「おぢばは、四方正面鏡屋敷と云う」

「四方正面と云うのは、どこにも誰にも隔てがないと云う事。どんな事でもどんな人でも同じように接するのが四方正面の心じゃ」

「自分の好き嫌いで相手に対する態度を変えるのは、四方正面の心とは言えないな」

「また、鏡屋敷とは、おぢばは自分と似たような人が寄ってくるから、自分の心が相手の姿に写るのじゃよ」

「だから、相手の姿を見て、自分の心を反省しなければならない」

「うん、分かった。相手によって差別しないようにしなくちゃね」